2018年1月28日日曜日

沈丁花の蕾を毎日眺めて


諏訪の杜の歩道沿いに沈丁花が複数本植えられています。
先日もこのブログにアップしましたが、通りすがりになんとなく香りがあるように思えました。
花が咲く前から香りを届けてくれるなんてのは都都逸に似たようなのがあったようにも。

さて、2冊の本を購入し目を通しました。(すなわち読んではいないということ)
私が本を購入するのは当然ながら講演会に役立つかな~と思っての事。
結論的には両方とも没でした。

1冊目は昨年末に発行された養老孟司さんの「遺言」
あっと言う間に5刷と版を重ねています。
”知的に刺激に満ちた、このうえなく明るい「遺言」の誕生!”
”これだけ言っておきたかった 80歳の叡智がここに!”
という宣伝につられた私が悪かったと反省。
まあ、第3章の「ヒトはなぜイコールを理解したのか」が、私がなぜ数学が嫌いなのかを解いてくれたことだけは確かで、それには感謝しますよ。
a=bというのは未だに私を苦しめているのですから。
a=aでしょ。b=bでしょ、と私はずっと思う人間なんですが、その事を見ごとに説明してくれたのですから喜寿を迎えた私にとっては感謝ですよ。だからと言って数学が好きになるとは思えませんけれどね。第1章「動物は言葉をどう聞くか」から終章「デジタルは死なない」迄こんな問答が続いています。これが遺言なのか~。
「はじめに」の所に、『久しぶりに本を書いた。<略>船旅である。家内とその友人たちとのお付き合いだったので、私はすることがない。しょうがないから本を書くことにした』とあるのです。
要するに、人付き合いの悪い、頭の固い人、研究者ぶった『バカの壁』そのものの姿でした。
2冊目は今年発刊された山﨑武也さんの「一流の老人」
これも帯に書いてあった「人生の成熟期を清々しく生きる」につられて。
でも結局はこの方も82歳にもなっていながら、コンサルタントの姿そのままで、評論でしたね。
あるべき論だけで、ご自分の姿はまったく見せません。
これはどうだ?これもどうだ?と言うけれど、全部が出来る訳じゃないし、著者はどんな生活をしているのかい。

この2冊に比べると佐藤愛子さんの書かれた本は説得力があり、私たちに示唆するところが沢山あります。また同様に林真理子さんの生活を表現した沢山の書も60歳を越えてのご自分の生き方を表現していますね。もちろん寂聴さんも。
男は何時までも制服を着ていてだめですね~。
あ、そうそう。この本いらないので読みたい会員の方、事務局へどうぞ。